いけばなの世界から見えるもの!人、自然、宇宙、存在…

出版・報道

 出版・報道              マスメディアの印象力!

 月刊「キャレル華遊戯(はなあそび)100回 連載達成!

    2012年 3月17日(土)      

キャレル4月号 

よそ8年半に及ぶ新潟の情報誌「月刊キャレル」への連載が今年の4月号で第100回を達成し終了した。

最初にこの話がきたとき、毎月連載するという責任の重さについて考えた。

新潟の情報ということで市内に支部を置く多くの流派に参加してもらい、楽しく続けられたらという思いがあった。

 来年のカレンダー

    2011年 12月12日(月)      

来年のカレンダーへ 

ラジオストク日本センターから来年のカレンダーに載せるいけばな作品の依頼があった。

カレンダー掲載はもう3年来になる。

来年は良い年になるようにと願いを込めた作品を選んでみた。
その題を「きざし」とした。

 報道といけばな展

    2011年 5月29日()      

報道といけばな展へ 

潟市で開催するいけばな展には特徴がある。

最も重きを置くことは、テレビCM放映とテレビ、新聞のオープニングの取材である。

規模が大きくなればなるほど企画段階で大きなエネルギーもいるし難しい問題も出てくるが結果がついてくればそれ以上のメリットの方が大きい。

 ロシアのメディア

    2011年 3月2日(水)      

ロシアのメディアへ 

002年から継続してきたロシアにおける「いけばな交流」は10年の長きにわたって続いてきた。

毎年感じていたことなのだが、必ずメディアの取材が入っていた。

新聞、ラジオ、雑誌、テレビの取材があり、特に講義中にしばしばテレビ局のインタビューを受けた。

 季刊情報誌 NIIGATA MITSUKOSHI mit's 取材

    2008年 1月28日(月)      

取材風景 

潟三越で4月に開催する新潟県の文化祭として主催する「新潟市十八流派いけばな展」と、新潟伊勢丹で5月開催する「G8新潟開催記念 新潟市いけばな芸術展」を目前にして打合せも大詰めにきていた。
驚天動地のことが起った。一般には、お互いライバルという眼で見られていたこの両デパートが4月より経営統合して㈱三越伊勢丹ホールディングスになるというのである。

 新潟日報社 「ときめきトーク」  取材

    2007年10月1日(火)

新潟日報社取材中
 

シアとのいけばな交流が2002年から続いており、毎年のように新潟日報社の記事になっていた。
また前年は、中国上海市で10万人集めたいけばな展にも参加し、前々年の北東アジアいけばな国際シンポジュウムの成功もあり、国際交流に弾みが付いていた時期であった。
そんな折に新潟日報社から取材の依頼があった。

 韓国・中国 花事情 取材

    2004年 9月15日(水)~19日()         s_youtube.png 

韓国中国取材へ 天安門 

潟で韓国、中国、ロシアとの四カ国による「北東アジアいけばな国際シンポジウム」が開催されることになった。
いけばなでのこの種のシンポジウムは日本でも初めてのことである。
この年は7月に中越での大水害があり、このシンポジウムと併催された「第7回 日本いけばな芸術信越展」が無事に終わった後、数日して中越大地震が起った。

 NHK テレビ 「ゆうどき新潟」 出演

    2004年10月12日(火)      

ゆうどき新潟収録風景 

陸宮華子妃殿下をお迎えして開催される日本いけばな信越展のいけ込が明日に迫っていた。また、難産だった北東アジアいけばな国際シンポジウムも控えている。
そんな折、NHKからテレビ出演の依頼があった。
新潟から日本初の国際シンポジウムといけばな展のまたとない紹介の機会である…

 FM PORT 「ピープル」出演

    2003年 8月11日(月)・12日(火) 

ラジオスタジオ風景 

回のラジオ出演は5分程度だったかと思う。今回の出演要請は1時間のトーク番組を二日間連続して出演するというものだった。
当時、新潟日報「窓」欄にあることで3回投稿し、反響は県、市にもおよび、その月の話題のベスト3番目くらいになっていた。また、海外とのいけばな交流も軌道にのってきた矢先である。これはまたとない機会だ。物おじしている場合ではない。

 月刊「嵯 峨」寄稿

    2001年 9月号         

月刊「嵯峨」9月号 

国の嵯峨御流の会員のための機関誌は、嵯峨御流を学ぶ者にとって最も重要な情報源である。一読しているとその地域の活動状況を知ることと、懐かしい友人の近況も知ることができる。
私は、初めてエッセイという記事を書いたのがこの嵯峨誌であった。自分の人生の目標が定まった時期とも重なっていた。






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