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嵯峨御流0912

 いけばな歳時記            季節の節目に出会う花!

 お正月のいけばな

お正月のいけばな
  2009年12月26日(土)~29日(火)                  &size(12){spectator:11396

年の生け納め「お正月花」で一年を締めくくります。

 嵯峨御流では毎年宮中で行われる、新春お歌会の御題にあわせた御題花を生けています。総司所では、それにちなんだ御題花器も制作しています。

 今年の御題は「光」

 新年を光輝く年にと願いを込めて生けました。

平成22年 御題花「光」 

平成22年 御題花「光」 

    花材:ストレリチア、旭葉蘭、根引き松、千両、スイトピー、オンシジューム

 歌会始のこと

 歌会始の起源ははっきりしていませんが、鎌倉中期に、亀山天皇期の文永4年(1267年)1月15日に宮中で「内裏御会始」という歌会が行われたという記録があります。

 当時は作文始・御遊始(管弦)と合わせた一連の行事だったようで御会始と呼ばれていました。

 御会始そのものは一時、室町時代に中断していましたが、その後、後円融天皇の永和年間に行われた和歌御会始を模範にして
後柏原天皇が文亀元年(1501年)正月に歌会を独立した儀式として執り行ったとあります。

 これが、今日の歌会始の起源になったと考えられています。

 江戸時代になると、歌会始はほぼ毎年開催され、明治7年(1874年)には、国民(上流階級)からの詠進も広く認められるようになりました。

 太平洋戦争後の昭和22年(1947年)からは、皇族のみならず国民からも和歌を募集し、御題も平易な題が採用されるようになりました。
 著名な歌人が選歌の選考する現在の形となり、一般国民が参加できる文化行事として今日に至っています。

 現在では、テレビ放映も毎年行なわれ、応募方法も郵便だけではなく、点字での応募や、インターネットでの応募も可能になりました。

 嵯峨御流では、昭和14年から毎年このお歌会始の御題にちなんだ花を生けています。

 以下に、今年の御題「光」が読み込まれた古典に見る和歌を調べてみました。


 夜の暗さのなかで月の光や漁火を詠む歌が多いのに気がつきます。

 電気のない時代、月の光が人々の生活に大きく影響していて、そこからおこる、感傷的な心情は私たちの年代くらいですと理解することが出来るような気がします。

 街灯もなかった暗い夜。そして家の裸電球から蛍光灯に変わったときは思わず歓声をあげたものでした。

 現代のように世の中が効率的、合理的になるほど、人間のもつたおやかな感性が失われてきたのかもしれません。

 今の世も見えない暗い闇の中にあって希望の光を追い求めています。

 古歌からは暗い夜を照らす月の光に思いを寄せる古(いにしえ)の人々の心情が伝わります。


万葉集

 日本に現存する最古の歌集。7世紀後半から8世紀後半頃にかけて編纂、成立は759年(天平宝字3)以後、天皇、貴族から下級官人、防人など様々な身分の人間が詠んだ歌、4500首以上。

673
湯原王

月読みの光に来ませ あしひきの山きへなりて遠からなくに

710
安都扉娘子

み空ゆく 月のひかりに ただひとめ 逢ひ見し人の 夢にし見ゆる

3169
作者不詳

能登の海に 釣する海人(あま)の 漁火(いさりび)の 光にいゆく 月待ちがてり  

4086
守大伴宿禰家持(大伴家持)

あぶら火の 光に見ゆる わがかづら さゆりの花の 笑まはしきかも



       

古今和歌集

 醍醐天皇の勅命で国家事業として和歌集を編纂する伝統を確立した最初の勅撰和歌集。平安時代の延喜5年(905年)成立。万葉集から140年間の名歌を集める。略称『古今集』撰者は紀貫之、紀友則、壬生忠岑、凡河内躬恒。

 平安中期の国風文化確立にも大きく寄与し、歌論として後世に大きな影響を与えた。

歌8
二條の后の東宮の御息所と聞えける時正月むつき三日御前に召して仰言ある間に日は照りながら雪の頭に降りかゝりけるをよませ給ひける
文屋(ふんやの)康秀(やすひで)

春の日の ひかりにあたる 我なれど かしらの雪と なるぞわびしき

0084
さくらの花のちるをよめる
紀友則(きのとものり)

久方の ひかりのどけき 春の日に しづ心なく 花のちるらむ

0195
月をよめる
在原元方

秋の夜の つきの光し あかければ くらぶの山も こえぬべらなり

0316
題しらず
讀人しらず

おほぞらの 月の光し 清ければ かげ見し水ぞ まづこほりける



後撰和歌集(ごせんわかしゅう)

 村上天皇の下命によって編纂された二番目の勅撰和歌集。体裁は『古今和歌集』に倣う。
二十巻からなり、総歌数は1425首。

326
是貞親王家の歌合にて

秋の夜の 月のひかりは あかけれど 人の心の うちはてらさず



新古今和歌集

 鎌倉時代初期、後鳥羽上皇の勅命によって編まれた勅撰和歌集。
古今和歌集以後の「八代集」の最後にあたる8勅撰和歌集で、元久二年(1205年)奏覧

255
摂政太政大臣 藤原良経

漁り火の 昔の光 ほの見えて 蘆屋の里に 飛ぶ蛍かな

389
藤原定家朝臣

鳰のうみや 月のひかりの うつろへば 浪の花にも 秋は見えけり

723
伊勢大輔

池水の よよに久しく 澄みぬれば そこの玉藻も ひかり見えけり

724
六條右大臣

君が代の 千歳のかずも かぎりなく 曇らぬ空の 光にぞ見る

737
攝政太政大臣

濡れてほす 玉ぐしの葉の 露霜に 天照るひかり 幾世經ぬらむ



頼政集

 源三位頼政集(げんさんみよりまさしゅう)は、武士、源頼政の歌集。別名『頼政集』安元2年(1176年)~治承2年(1178年)頃、出家を機会に50年にわたる作歌を自撰

すみのぼる 月の光に よこぎれて わたるあきさの 音のさむけさ



新勅撰和歌集

 貞永元年(1232年)後堀河天皇の下命を受けた藤原定家が単独で撰し、文暦二年(1235年)完成し奏上。仮名序も定家筆。20巻,1370首強収める

256
権中納言定家
養和のころほひ、百首歌よみ侍りける秋歌  

あまの原 おもへばかはる 色もなし 秋こそ月の ひかりなりけれ



新葉和歌集(しんようわかしゅう)

 南北朝時代の和歌集。准勅撰とされる。後醍醐天皇皇子宗良親王(1311-1385?)の撰。
弘和元年(1381年)十二月奏覧。20巻、約1420首。

春・上  
立春の心をよませ給ひける 後村上院御製

いづる日に 春のひかりは あらはれて 年たちかへる あまのかぐ山



千載和歌集

 勅撰和歌集。20巻。二条為定撰。足利尊氏の執奏により、延文元年(1356年)6月、後光厳天皇から綸旨がくだり、
1359年撰進。歌数約2360首。

皇太后大夫 藤原俊成

あさぢはら 葉末にむすぶ 露ごとに ひかりをわきて やどる月影

 


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