尾 瀬100211
生きものたち かけがえのない「いのち」のかたち!
尾瀬で出会った生きものたち
2010年2月11日(木) spectator:3867
- 尾瀬ヶ原の朝。燧ケ岳から昇る太陽。
「尾瀬沼」には10月11日に初めて入山した。澄みわたる秋空に凛と輝く日本の原風景がそこにあった。
その年の11月2日、すでに初冬の「尾瀬ヶ原」には鳩待峠から入った。同じ年にどうしても両方を見ておきたかった。
冬枯れて、誰もいない、そして何もないその荒野に降り立った時、今までに経験したことのない解放感が体いっぱいに広がっていった。
広漠とした原野のほぼ中央まで進んだとき、ドラマが待っていた。
流れる雲間からさしこんでくる太陽がそれまで平淡だった尾瀬ヶ原の表情を一変させた。
突然、拠水林の一部のダケカンバ群だけが白く輝いて浮かび上った。(左の写真)
それから次から次にいたるところに絶妙なスポットライトが降りそそぎ、一瞬輝いては消え、それをまた何度も繰り返す。
平原の向こうの一本の白樺にスポットライトがあたったかと思うと、そこから広大な光のカーテンとなって走って来て私を包み、あっと言う間に去ってゆく。
長さ6㎞、横幅3㎞の草原とそれを取り囲む山や林が、めくるめく繰り広げられる光と影のスペクタクル劇場と化した。
この壮大な自然が作り出すドラマは、私たち夫婦だけに尾瀬が見せてくれた最初の最高のプレゼントだった。
これが、43回も足を運ぶことになる尾瀬ヶ原との初めての出会いだった。
何もない冬枯れの広漠とした原野から尾瀬ヶ原との出会いは始まった。
それはむしろ想像をかきたてる動機となった。
枯れた植物の殼が何の花なのか、気になった。
もちろん枯れた花の植物図鑑などない。
確かめるには、咲いている時期に来るしかない。
当然のように確かめに出掛けるようになった。
初春、春、初夏、夏の盛り、初秋、真っ盛りの秋、晩秋、雪の尾瀬。多い年で年間8回入山している。
尾瀬の植物は実に多種多様である。まぎれもなく日本に残る貴重な植物の宝庫だ。
何年か通ううちに、いろいろなことが見えてきた。
尾瀬の植物たちは季節ごとに、自ら生息する場所を譲り合ってちゃんと棲み分けをしているのだ。
これも限られた場所で生き残る知恵なのだろう。
水芭蕉やリュウキンカの花が終わった後に、ワタスゲが群生し、そのあとにキンコウカが集落をつくる。また、ニッコウキスゲが群落をつくる。
外来種は他の植物を席巻してゆき駆逐してしまうが、在来種どうしは共存共栄の関係にある。
尾瀬の心地よい魅力というのは、ここにも要因がありそうだ。
尾瀬の四季はいつ行ってもいい。一週間もたつと、植物が一変していることがある。
雨の日はみんなは嫌がるが、人が少ないし、草花はしっとりとして本来の美しさを見せてくれるので、私は好きだ。
また、人が少ない時など、昆虫や鳥は近くまでやってくる。
蝶やトンボは指や身体に止まってくる。
私の旅は、興味のあるものがあると、時間を気にしないでじっくり観察するのが私流だ。
ある池塘で、トンボの羽化に立ち会った。
ヤゴから殼を脱いで出たてのトンボは湯気が出るかのように白く柔らかい姿をしている。
羽が伸びて、色も濃くなり、細かく振動させて羽が乾いたら、大空へテイクオフ。
その間、約2時間。
「飛び上がった」
羽化する瞬間を一緒に見ていた神戸から来た女性のグループがいた。トンボが羽化に成功して飛び上がると感動的な歓声が上がった。
とみるや、鳥もよく見ているものだ。それはとっさのことだった。
生まれたてのトンボを狙って急降下してきたのである。
鳥にとってはでき立てでホカホカの御馳走なのだろう。
歓声が終わらないう内に、こんどはおばさんグループと一緒に張り上げたのは、悲鳴に近い大喚声だった。
「キャー!」「ダメー!」
鳥はその悲痛な大喚声にたじろいだのか、間一髪のところでクルリと反転していった。
皆で顔を見合わせ安堵の言葉をかけあったのは言うまでもない。
それから、私たちは彼女たちからは「トンボのご夫婦」と呼ばれ、トンボの縁で親しくなったのである。
尾瀬のトンボといえば「ハッチョウトンボ」をあげなくてはならない。
体長2㎝、なんと一円玉の大きさにスッポリ収まる大きさなのだ。
日本最小のトンボである。
ちいさいながら拡大すると普通のトンボと変わらないディテールをしている。
雄は身体はもちろん、眼や羽の付け根までが見事な赤い色だ。
これは、見つけるという意思がないと、まず目にすることはできないだろう。それほど小さい。
オスの赤備えに対して、メスは体長18mmとさらに小ぶりで、麦わらトンボのような色で草の色と同化して目立たない。こちらはさらに見つけにくいのだ。
名前はわからないが、不思議なハチを見た。
その形を例えると、旧日本海軍局地戦闘機「雷電」のようなずんぐりとした形で、ぬいぐるみみたいに毛深く、羽が極端に小さい。
全くその大きさや重さからはかけ離れたちいさい羽である。航空力学ではこれでは飛べないと結論づけるかもしれないような大きさなのだ。
( 図鑑で調べると「マルハナバチ」みたいだ。)
また、ふしぎな鳥もいる。
オオジシギという渡り鳥で、繁殖期になると餌をとる様子もないのに羽をすぼめて急降下を何度も繰り返す。
その時に首をすくめるようなブブブブブーというスゴイ風切音がする。このことから「カミナリシギ」とも呼ばれている。
- オオジシギ
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- 白い虹
尾瀬では山小屋に泊まり、翌朝、夜が明けないうちに撮影の準備のため出発する。山小屋では朝食は食べない。いつも朝食用のおにぎりを頼んでおく。
ある夜「熊」が小屋近くに現れ、大騒ぎしたことがあった。大急ぎで部屋にビデオを取りに行き、外に飛び出して撮影したが、暗い夜に黒い熊では写る由もなかったが…
その翌日の早朝、カメラマンが多い山小屋だったが、まだ暗い内に撮影のため山小屋を出たのは私と美砂子の二人きりだった。山小屋の周りの水芭蕉の実を食べて踏み荒らした跡が近くの拠水林まで続いていた。
まだ、近くにいるようだ。荒い鼻息のような音がする。
尾瀬では熊とのニアミスは2回ほどある。
朝の撮影時にまれに現れる「白い虹」やガスと太陽が作り出す魅力の方が、熊への恐怖心に勝ってしまうほどその時間帯は貴重だったのである。
自然は、われわれに様々なものを見せてくれる。何百万種か何千万種かわからないが、地球は極めて多様な生物が生息している。
どの種類もこの世の中に必要とされるものばかりに違いない。
豊かな地球の生命は、多くの名もない小さな植物や動物によって支えられていることを思う。
自然は余計なものは残さない。そして、自分の役目が終わると,潔く次の季節を彩る植物に明け渡す、その潔さには感動さえ覚える。
わたしにとっての尾瀬は、今日までいろいろなことを教えてくれる最も大切な場所であることを実感してきたのである。
リンク:尾瀬の四季
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