いけばなの世界から見えるもの!人、自然、宇宙、存在…

いけばなの存在

 いけばなの存在



                  花をいけること

ウラジオストクの大学での講演

は「いけばな」という伝統文化を学び教えてきました。
純粋な花に長く接していると、不思議と物事が、そして人の心が透けて見えてきます。

どんな世界にも極端な考え方の人達がいますが、固執した嘘言や妄想は自然に淘汰されてゆきます。真に花から学ぼうとする姿勢には馴染まないからです。

G8開催記念華展:新潟伊勢丹

生け花は「華道」として伝承されてきました。

花をいけることは執着しない心と人としての中庸の道をさぐることに通じます。

そこにはとらわれない心、強い信念と忍耐力を培う修行であると同時に柔軟な心で節度ある生き方を学ぶ場でもあります。

  道の文化           

10年続いた市民伝統文化祭:NEXT21

はひとつひとつ苦難を乗り越えることで鍛えられ強くなっていきます。知らず、かくありたいと思う心が人を突き動かし、困難を克服することで生きていることを実感していきます。

この生きていることを実感するために苦難に遭いながら人は生かされているのかもしれません。

ホテルエクアドルホールでの講演:VVO

先人はそのことを人の「」として説きました。

茶道、華道、書道、香道、そして様々な武道に限らず日本の伝統文化は道の文化として存在します。

しかし、どんな道も決して平たんな道ばかりではありません。

北東アジアいけばな国際シンポジューム:朱鷺メッセ

苦しければ苦しいほど後になってより大きな充足感を得られるのは山登りに似ています。
今の苦労も頂上に着けば、苦しかったことも忘れるような素晴らしい眺望と充実感を味わうことができるでしょう。

生きるとは苦しみながら知らず人間としてさらなる高みを目指すことのような気がします。

ウラジオストク日本センターにて

険しい稜線上の山道は、右に行き過ぎたり、左に過ぎると断崖絶壁になります。

転落を避けるために極端に走らぬよう人としてのあるべき中庸の道を学びながら歩み続ける。これが日本の道とつく伝統文化の本質のひとつであると考えています。

  生きる指針          

華展会場設計も数多くてがける:新潟伊勢丹

筋の道を、研鑽を積むことで20年、30年と歩むうちに見えなかったものが見えてきます。

2年や3年ではそれなりのものしか手に入らないのです。

継続が重要というのはその故であります。

これは人間が生き続けて行くうえで大切な指針であるように思います。

このような日本の優れた道の文化は多くの先達によって継承されてきました。
これからも伝統とは如何にあるべきか。人とは何かということを「いけばな」を通じて真摯に考え続けてゆきたいと願っています。

 「花を弄すれば香り衣に満つ」  于良史

 2011/04/02 上野恒洲

               

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