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谷川岳

  山と自然           一歩一歩登った山々に美の原点がある!

 谷川岳    標高 1976m

   2011年10月10日()         spectator:1752

  •  西黒尾根を行く

西黒尾根を行く

天神平ロープウエイ

越高速道上りの清水トンネルを出てから群馬側より見上げるその山の頂部はほんとに猫の頭のようだ。

トマの耳とオキの耳という二つのピークが猫の耳のように見えるからだ。

雪の谷川岳は特に白く輝き、際立ってそう見える。

谷川岳登山には強烈な思い出がある。

谷川岳頂上:トマの耳

あれは夫婦で初の本格登山となった1993年10月10日のことだった。

高速道路、関越道の水上ICを降り、登山口となる天神台までロープウェイで行く最も登りやすい登山道を選んだ。

この日の朝はどこまでも碧く澄みわたった秋空のもと富士山まで見通せる絶好の登山日和の秋晴れの日であった。
陽光に輝る山の紅葉は青空に映えひときわ見事である。

谷川岳頂上下のケルン

気持のよいトレッキング気分で早々に頂上に着く。案の定山小屋は超満員。

山頂も人で溢れていたが頂上の一角を確保し、360度の大展望を存分に楽しんだ。

昼頃になると谷川連峰の稜線に雲が湧いてきて、関東側に勢いよく滝雲となって流れ出した。

頂上も瞬く間にガスに覆われ始めたので天候悪化を考えて下山することにする。

同じ考えの人が多かったのだろう。

一斉に下山を始めた登山道はまさに数珠つなぎで登山者が延々とつながり、天神平に着いたころにはロープウエイに乗るのを待つ人でゲレンデの頂上の方まで長蛇の列ができた。

下りの登山者の列

谷川岳頂上

朝日新聞一面の記事

あまりの人の多さに歩いての下山も考えたが、この様子では不慣れな暗い山路となり遭難の危険もあるので断念して順番を待つことにした。

やっと乗る順番が回ってきたのが午後六時過ぎになってからだったろうか。もうあたりは暗くなっていた。

四時間も待ったことになる。それでもまだ待つ人の長蛇の列は延々と続いていた。最後の人達はいったい何時に下山できたのだろう。

とにかくこの日は谷川岳ロープウエイ開業以来最高の人出だったらしい。ロープウエイ利用者だけで11,000名もの人数を記録したとのこと。

翌日の朝日新聞の一面にこの大渋滞の登山道の様子をヘリコプターで撮影した写真が載ったくらいであった。


  • 再挑戦

厳剛新道を行く

マチガ沢

る大きな行事が終わったあと、急に山に登りたくなって谷川岳に向かったことがあった。

しかし山はいつも上機嫌で迎えてくれるとは限らない。この日は山裾に着くころには小雨になっていた。

黒菱尾根から取り付いたが岩場は滑り、視界もきかず危険と判断し登頂は諦めることにする。


  •  一の倉沢

一の倉沢

オキの耳

の日はこれはこれで山の香りが清々しく風情があり気分もリフレッシュできるのだが、初めてのルートなので安全を考えて断念。

そこで一の倉沢の直下まで行って、魔の岸壁に圧倒されてくる。

でも登れなかったというのはやはり心残りなものだ。

ガスのなかの下り
 

一週間後、再び谷川岳の黒菱尾根側から再挑戦することにした。

かなりの急な登りやガレた岩場もあり平易な天神台コースとは趣を異にする。

ガスが頂上部を隠しているが高度が増すにつれ気分も高揚してゆく。

紅葉の斜面が素晴らしい。

頂上小屋からひと登りのピーク、トマの耳に着く。

やはり頂上を踏むというのはいい。達成感が心地よい風にのって身体を通りぬけてゆく。

魔の山といわれた一の倉沢

あいにく頂上からの展望は得られなかったが下山ではガスの中に浮かぶ紅葉が神秘的な美しさを見せてくれていた。

魔の山と恐れられ七百名もの命を飲み込んだ山、谷川岳

その名の響きには人々を魅了し続ける何かが秘められているのだろう。

ふとまた行ってみたくなる山。それが私にとっての谷川岳である。

谷川岳から始まった本格登山も以後十五年間のうちに各地の山々百三十五座を超える頂上を踏んできた。

人間にも個性人格があるのと同様、それぞれの山々にも人格同様、山の格というものがある。

昔から山に神格を見ていた先人は自然に対する畏怖の念が備わっていた。

自然と人間の関係が深かったころは現代人よりもっと自然に対して謙虚でありかつ礼節を持って接していたことだろう。

今でもそのことが山深い農村地帯での風習や、山入りの行事などに残っていたり、信仰の山が多いことをみてもそれを感じることができる。


四季がはっきりしている日本の風土から季節の節目が暮し方の節度となって様々な行事と共にあったことで日本人の豊かな人間性を育んできたのだろう。

古より日本では山の存在は征服するというものではなく、畏敬の対象としての存在だったのである。

山に登るときの何とも言えない心地よさは、そうした先人の思いが長い歴史とともに日本人の気質としてそこここに漂っているせいなのかもしれない。


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