花のこと
生きものたち かけがえのない「いのち」のかたち!
「花」 のこと
2010年3月3日(水) spectator:2925
- 野生の花に魅せられて!
花はすごい戦略家だ。ときに植物は動物より数段生きる能力に長けているのではないかとさえ思う。
独特の花の形で受粉に必要な昆虫を選別する巧みさ。風もないのに何本もの杉の木が一斉に申し合わせたように杉花粉を噴霧する。
毎年若葉を虫に食べられているうちに芽吹く時期をずらして身を守る。山道などで人が通るところでは年々遠ざかる高山植物。
時を待っていたかのように「セーノ」で一斉に咲く植物たち。例を挙げればきりがない。
山奥の手つかずの自然のなかに入ることで野生の感覚が蘇るような気がして新潟近辺の山へもよく通った。
花に会いに行く目的の登山もあった。エーデルワイスの仲間、ホソバヒナウスユキソウに会いたくて登った「至仏山」、
ハクサンコザクラの群落が美しい「会津駒ケ岳」、シャクナゲの「平標山」、ヒメサユリの「粟ケ岳」等々。
新潟近郊の山々には貴重な自然が多く残されている。
その過酷な自然環境のなかで生き抜いてきた高山の花には、孤高の尊厳をもつ美しさとともに生命力あふれる凄みのある美というものを感じることが多かった。
低山の里山も季節を謳歌するすばらしい景色を見せる。
長い冬の終わりを告げるかのように、いっせいに里の山々が芽吹く春、自然の「いのち」が燃えさかる。
雪の消えたところから順々に芽をふいてゆくフキノトウ。山々に鳴き渡るウグイスの声。見事な群落をみせる「カタクリ」の花。
木々の若葉にはこんなにもいろいろな色があるのかと思わせる。淡い色の山桜の花に朝日が輝く光景は日本人の情感に訴えかける美しさがある。
花はもともと葉や茎が変化したもので、そこから草冠に化けると書いた。先端にあるそこだけが著しく変化する。
「はな」の語源には、葉に接尾辞の「な」がついた説や、「はな」は「鼻」「端」と同音で、先端を意味し、咲く花も先端にある。
「日本書記」に、神功皇后に神懸りしてあらわれた神は、すすきの先端から穂が出たようにあらわれたというくだりがある。
この先端に出たススキの穂は「依代」としての「はな」であった。
「はな」は季節に先んじて現れる存在であることから、何かがあらわれる前兆を意味するようになり、そのあらわれたものすべてを「依代」という言葉で表した。
また、冬でも枯れることなく変わらずに緑を保つ常緑樹に注目した。
「松」を神を待つ(マツ)木、「榊(さかき)」は栄える木を意味するなど常磐木が神の宿る神聖な「依代」とされた。
そのような常緑樹の依代も「はな」とみたのである。
一年の最初の行事である日本の正月は、もともとは稲の収穫祭をすることだった。
稲に宿る祖先の御霊(みたま)をまつる祭で、稲は祖先からのたまものであり、新米で鏡餅を作って神に捧げる。
その御霊のシンボルとして餅は丸くつくった。
そして、祖先の霊の降臨を「待つ」依代として「松」を立てた。
これが門松の起源であり、今でも正月のいけ花の主材が松であるのはこのことによる。
農耕民族である祖先は雪消えの山肌に残る雪形で農耕の時期を知り、里山や野に咲く花に季節を感じてきた。
季節に先駆けて時期を間違うことなく咲く花はカレンダーであり季節そのものであっただろう。
一年が春から冬を繰り返すように、人間も生を受けてやがて死んでゆく。自然も人間も同じ節理のなかにある。
そんな自然を身近にしてきた人間にとっては、自然と人間の境はなかった。
自然の中から生まれて自然の中に帰ってゆくことを繰り返す。
花は摘み取るとだんだんしおれていくが、それを深水につけるとやがて甦生する。その生命力には驚くばかりだ。
花を単に美しいとするだけでなく視覚を通して花の持つその生命力に触れ、さらに、それを身体に取り入れたいとする呪術的な意味でも使われた。
現代まで継承されている蔓(かずら)を頭にまいて神前で踊ったり、花傘で飾って踊る行事などがそうである。
このような古(いにしえ)より自然への畏敬の念から発生した自然崇拝信仰というものが色濃く存在していて、豪族による政治体制と関連しながら徐々に「神道」として成立していく。
6世紀ころ朝鮮半島からもたらされた国家鎮護を目的とした「仏教」と、古来からのアニミズムを統合した「神道」は日本において共存することになる。日本の歴史において、以前からある価値観も認め、新しい価値観も日本的にして取り込んでゆくというこの柔軟な多様性が現在の日本を優れた文化国家にした原動力であったように思う。
仏教からは、清浄な国土という意味の浄土という言葉から気候温暖な日本の風土にふさわしい澄みきった心を持つ世界観を得ることになった。
自然界にある一木一草にことごとくに仏性があるという認識が、単に自然を美しいと感じるのではなく、自然は清浄にして人間を浄化するものとしての概念をもつことになる。
名もない草や木、小さな動物を慈しむのも、そこに人間のやさしさとしての情緒がある。その可憐な動植物の姿にも仏性を見ているのである。
このように、日本人の情緒を深めていった過程において、古代からのアニミズム信仰に仏教が加わることで、やがて「風雅の心」が生み出されていく。
古代より広く花を見て楽しんでいたことは、百五十種もの花を詠んだ日本最古の歌集「万葉集」でも明らかである。
なかには、萩を手折ったがみるみる萎れていくのでオロオロするといった情景も詠まれている。
やがて、花に対して純粋に観賞する心が芽生える。平安時代には山から伐ってきた桜の花の見事さを競う「花合せ」という記録が残る。
そんな「風流心」のおこりが宗教的色彩をうすめていき、やがて日本的な文化として発展することになっていくのだが、この「風流の心」というなかにも仏教の影響が色濃く現れる。
蒔絵や工芸品の絵柄を「草」だけで描く。これは日本にしかない特徴である。一木一草に対する仏性心が根底にあることは否めない。
日本に画期的な影響を与えたのは室町時代の「禅」の導入であった。
絵画は、極彩色の大和絵から墨絵になった。その余白の多いモノクロの空間からは空想力、想像力が喚起され、わび、さび、という概念が生まれた。
そして、応仁の乱をはじめ戦乱で焼き尽くされた廃墟の中から、茶道、華道、連歌、能という芸術・芸能が発展することになる。
その共通する根底に「禅」の考え方があった。
一輪の花のなかに宇宙をみる。虚と実が混在するなかに本質をみるという考え方がここで形作られることになった。
それは、今日においても、作庭や「いけばな」の造形はもとより、人間の思考回路にも大きな影響を与え続けているのである。
人は、なぜ生きている花を無残にも切り取っていけるのか。という質問を受けたことがある。
イスラム教の開祖「マホメット」は、「パンを二つ持っていたら、ひとつを売って花を買いなさい。」と説いた。
パンは麦から作る、もとは植物だ。パンは生存のために必要な栄養ならば、花は心の栄養となる。
人間にとって大切なものを言い得ている言葉だ。
人間は、生まれると母親から切り離され、あとは自力で生きていかねばならない。
花も切られた後も生き続ける。養生しだいでその寿命が決まる。
仏前や神様には根のついた花は供えない。花の生命力は切り取ってこそ知ることができる。
人間も同じではないか。
泥の中から咲く大輪の美しい蓮の花には、混沌とした世の中の人の生きようが示されている。
花をいけてみる。するとその場が清々しい空気に変わるのがわかる。
一輪の花から悠久のロマンと限りない可能性がみえてくるのである。
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