いけばなの世界から見えるもの!人、自然、宇宙、存在…

糺の森2011

 生きものたち          かけがえのない「いのち」のかたち!

 (ただす)の森にて

     2011年3月9日(水)       spectator:2059

  • 高野川(左)と賀茂川(右)が合流する所の奥が糺の森

高野川と賀茂川が合流して鴨川となる

鴨川の白鷺

しぶりに3月初旬の早朝,糺の森をゆっくり散歩することができた。

千二百年前の京都の面影を今に伝える貴重なエリアがここ下鴨神社の境内を囲む「糺の森」である。

古代から清水の湧くところ、鴨川の水源の神地として信仰されてきた所だ。

神域に射し込む朝日

中京区の高野川と賀茂川が合流する地点から上の三角形の頂点から奥がその領域になる。

朝早くに下鴨神社の境内に入ると、朝日が神社の連なる屋根に差し込み、やがて御手洗川の源流に咲く紅梅の花々に光が差し込む。

そして辺り一面光輝き、神域が醸し出す独特の空気がすがすがしい。

御手洗川のほとりの紅梅

朱塗りの楼門を出るとその先に鳥居があり森の散歩道が続く。散策する人もまだまばらである。

参道の砂利道の落ち葉を機械で吹き飛ばしている作業をしている人に出会う。そこにも神聖な場所を保つための絶え間ない努力を見ることができる。

小道の脇の枝垂れ梅の花にスポットライトの木漏れ日が射し込み早春の色を際立たせている。

糺の森

境内の落ち葉を掃除

ご神木

下鴨神社の楼門

泉川の水鳥のつがい

森のなかには小川が二本流れている。そこではオシドリの夫婦が仲良く川の藻をついばんでいる。

小鳥がそこここに見え隠れしながら群れている。数種類の小鳥たちを確認できる。

この森は尾形光琳があの有名な国宝の「紅白梅屏風」を描いた場所でもある。

森も人の手で再生してゆく

大きな洞(うろ)になっているご神木には御幣がかけられ、すっくと伸びた未だ硬い蕾をまとった古木の上に朝日が当たり青空が映える。

ふと見ると、道の脇に記念樹があちこちに植えられている。

原始の森の面影を残すこの森も現在ではこうした植樹で絶え間なく人の手が入り守られているのだ。

森も人の手で再生してゆく

日本人は古来自然と人間の境という感覚がなかったという。人も動物もあらゆる生きものたちは森から生まれ出て、死んで森に帰ってゆく。

これが自然との関わりにおいてごく普通の古代の日本人の感覚であった。

平安朝の流路脇に咲く枝垂梅

周辺諸国から東洋思想や西洋思想が入ってきてやがて自然と人間のと間に境ができた。

そして人間が自然を支配するという西洋的思想が浸透してゆくにつれ自然に対して容赦なく開発が行われていくことになった。

特に近年の日本の自然の広範囲な破壊は、それ以上に失われるものも多かったのではないかと思っている。

平安朝の流路脇に咲く枝垂梅

何事もほどほどという考えがある。

モノが溢れて便利になりすぎ、逆に社会や心の荒廃を助長してきたという側面があるのではないか。

コンピューターは確かに便利であるが、その反面いらぬ作業も増える。毎日そのことに縛られる。

コンピューターに一元的に依存する社会に大きな不安を感じているのが実感だ。

糺の森のなかで群れる小鳥たち

本当に世の中が便利で快適になったが、人は幸せになっているだろうか。この先便利さが増すとともに煩雑さもそれに伴って増大していくような気がする。

最近特に現代人の何かしらの心の余裕のなさ、柔軟性の欠如がいたるところで目立つ。

現在の日本人の生活様式のもとを作り上げてきた伝統文化の多くは室町時代、応仁の乱の時代にその基礎ができた。

瀬見の小川にて

街が焼き尽くされ阿鼻叫喚の地獄絵のようななかから、精神文化をもって茶道、能楽、俳諧、そして華道などが起った。

そこにはモノに頼らず「こころ」を根本に据えた深遠で力強いエネルギーの高揚を感じとることができる。

「こころ」の文化は人に対する、あるいは自然に対する礼節が重んじられ、お互いを思いやる(調和させる)という和の精神が基本になっている。

このことが日本人の節度と寛容の心を育むことに大きな役割りを果たしてきたと同時に創造力豊かで柔軟な思考回路をも持つ日本民族の特性を磨き上げてきたのではないか。


それゆえ、室町時代に起こった伝統文化の高度のエネルギーは六百年もの間、天才的な先人たちにリレーされて今日になおその存在感を示しえているのだと思う。

そのなかで先人は「吾、唯、足るを知る」という格言を残している。

ここにモノや自然に対する西洋思想との大きな隔たりがあったはずだ。



、京都の糺の森の中を逍遥している。人工物が何もない自然だけの空間のなかで何ともいえないやすらぎを感じている。

風の音。小鳥のさえずり、せせらぎの音。極上の音楽のようだ。


この森のように日本各地の神域として残されてきた神社などの境内には手付かずの古来からの植生を守り、長寿の樹木が育つ所が数多くある。

このことは、日本古来の植物たちを守ると同時に、日本人の原点に立ち返らせる領域として今後大きな意味を持ってくることになるだろう。

それは先が見えない不透明な時代にあって日本人の心のよりどころとしての場所という以上に「いのちの原点」を考える、よりおおきな役割りを担ってくると思えるからである。


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