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福島原発事故から3年目

 福島原発事故から3年目の憂鬱  

   2014年3月11日(金)

  • 福島第一原発

http://kobajun.chips.jp/wp-content/uploads/NYT319.jpg
http://www.nytimes.com/2013/03/20/world/asia/blackout-halts-cooling-system-at-fukushima-plant.html

2014年3月11日、今日、原発大事故から丸3年が経った。

復興は遅々として進まず、今だ超濃度の汚染水流失はじめ、事故の収束もままならず、26万人以上の避難者が苦難を強いられている現実を直視し、この期に及んで原発の海外売り込みや再稼動へ加速する政治と民意との乖離について考えるとき、原子力村といわれているシステムの根の深さが浮かび上がってくる。

この時点で、もう一度原発事故の経過を振り返り、原発の安全神話なるものの実態を検証してみたい。

まず、原発事故直後の日本国政府の動きを再現してみる。

2011年3月11日 (金)

午後2時46分。三陸沖で巨大地震発生。福島第一原発緊急停止。

首相官邸地下の『危機管理センター』に緊急参集チーム集まる。

午後3時27分津波第一波襲来。

午後3時40分。福島第一原発、全交流電源喪失

 その約1時間後、1号機、2号機で、炉心冷却不能になる。

原子力安全保安院長・寺坂信昭は、菅直人首相の問いにどう対処すればよいか、具体的な答えが出せないでいた。

菅首相の「技術のことを分かっているのか」の問いに「私は経済学部ですけど」と答えている。寺坂の前職は、経済省の商務流通審議官。現在、原子力災害対策本部の事務局長の肩書きを持つ。

代わって対応したのが保安院次長・平岡英治。東大電気工学科出身。13日さらに保安院幹部の安井正也に交代する。安井は資源エネルギー庁の部長だった。寺坂が急遽併任人事を発令して官邸に送り込んだ。

保安院の当を得ない問答が続いた。

官邸地下の中二階が原発事故対応の司令部になった。10人も入ればいっぱいの小部屋で、電話が2本しかなく、ファックスもない。しかも携帯も通じなかった。

原子力安全委員長・斑目春樹が来た。しかし肝心の原発の図面もない。

図面は保安院が持っているが出していない。それどころか情報も上げず、全く機能していなかった。

斑目は東電フェローの武黒一郎と記憶をたどりながら対応策を考えなければならなかった。

情報から切り離された状態で、斑目は「ベントをし、消防車で原子炉に注水するしかない」という結論に達する。

午後9時ころ、ベントの方針が政治家に伝えられた。

その際、住民の被爆を避けるために避難が必要となるが、その範囲を、斑目は「3kmで十分」との見解を示した。

それまで、保安院を中心にして毎年実施してきた避難訓練が「半径2~3キロを避難区域にして、風下方向に5~8キロを屋内退避区域にする」というシナリオがあった。

午後9時23分。結局、風向きや地形など考慮されることなく、同心円状の住民の避難が発表された。

午後10時44分。保安院から「2時間後には2号機がメルトダウンとなりそうだ」との予測が届く。


電源喪失の過程

1、通常の電気止まる。

2、故障用の予備電気が止まる。

3、非常用ディーゼル発電機動かず。

4、バックアップ用移動式ディーゼル発電機の「プラグ」が合わず。- 消防の持つ車両搭載のディーゼル発電機の51台全てのプラグが合わなかった。
 
5、蓄電池の容量8時間。福島第二原発から運んだバッテリーは全部容量が違っていた。吉田所長は、現場にあった車のバッテリーを集めさせている。

結局、東電には電源喪失を防御する万全の対策など全くできていなかったことになる。
これが致命傷になり、炉心溶融、メルトスルーに至ったのである。


後日の検証で、1号機は、事故発生当日の午後8時までにはメルトダウンを起こし、時間をおかずメルトスルーしたことが分かっている。



3月12日(土)

日付が変わるころ、1号機の格納容器の圧力が異常に高くなる可能性がでてきた。保安院が予測した2号機ではなかった。

午前0時6分、福島第一原発所長・吉田昌郎は1号機のベントの準備の指示を出した。

午前3時12分、官房長官・枝野幸男、ベントをする旨の記者会見。

しかし、そのころ1号機の放射線量が上がり、作業員が近づけずベント作業に入っていない。

午前5時44分。菅首相は斑目委員長の助言で住民の避難を10kmに拡大。大熊、双葉、富岡、浪江の住民、5万人規模となった。

午前7時12分。菅首相、斑目委員長、寺田首相補佐官、記者、医務官、秘書官ら12名。自衛隊ヘリで福島第一原発に乗り込んだ。

菅首相、現場で説明を受けると、ベントを早くやれ!と檄を飛ばした。

福島第一原発所長・吉田昌郎、その場で決死隊を組織する。

手動によるベントに向け臨んだが、弁を25%開けたところで線量計が90ミリシーベルト超の警告音。

結局、第二班、第三班は行くことを断念。

午後2時30分。東電では1号機の炉内圧力が低下していることを確認。ベントは成功したと判断。

東電の清水正孝社長は午後2時50分、海水注入の実施を了解する。

その4分後、未だその指示が届いていなかったが、吉田所長は、所長権限で海水注入の指示を出していた。

午後3時1号機が爆発した。建屋に水素が充満し、水素爆発が起きて、建屋上部が吹っ飛んだ。

このとき、菅首相が手に入れることができた情報は、日本テレビで午後4時49分に放送した、福島中央テレビ撮影の映像だけだった。

官邸には「白煙が上がっている」との報告が来ただけで、原子力安全・保安院、原子力安全委員会、東京電力もテレビ以上の情報は伝えていない。

経済産業大臣・海江田万里は原子炉等規正法に基づき、1号機原子炉に海水で満たす応急の処置の命令文書を出す。同時に保安院に海水注水を命令する準備を指示。

午後6時。海水注入実施が話題に。内閣危機管理監・伊藤哲朗と保安院の幹部職員。

   伊藤「普通の水では足りないだろう。海水を注入できないのか」

   保安院「炉に海水を入れたらいけません。炉が使えなくなります」

   伊藤「その真水はどこからどれくらいを運べばいいんだ」

   保安院「……」

午後6時 総理執務室、官直人首相。経済産業大臣・海江田万里。官房副長官・福山哲郎。首相補佐官・細野豪志。原子力安全保安院次長・平岡英治
原子力安全委員長・斑目春樹。東電フェロー・武黒一郎。原子力品質・安全部長・川俣晋

武黒「爆発で機材が損傷。海水注入に1時間半から2時間かかります」

海水による腐食、再臨界の可能性を議論。

会議終了後、武黒は吉田所長に電話。

武黒「海水注入に、総理は再臨界を含めて懸念を示している。総理の理解を得ることが重要だ」

吉田「もう海水の注入を開始している」

武黒「官邸で検討中なので待って欲しい」

吉田は本店に電話、本店側も海水中断はやむをえないとの意見だったが、吉田はそのまま海水注水を続けた。

このやり取りは官邸には知らされていない。

午後7時35分、細野が総理執務室に入り、海水注入が可能になったと報告。東電・清水社長が実施を了解してから5時間近くたっている。

この期に及んでも、保安院、東電は原子炉を守ることが念頭にあったのである。

 官邸はこのとき初めて海水注入できるようになったと認識。



後に、菅は「武黒氏は真水から海水に変えることと再臨界は関係ないことは分かっているはず。そのことと結び付けられて注水を止めた止めないの話になっている」と振り返る。

結局、メーカーの東芝社長・佐々木則夫を13日呼んで、対策を練ることになる。

3月14日(月)

午前11時1分、建屋の爆発を回避するため、高圧水で天井を切断することになり、準備が整った時点で、3号機が爆発する

水素爆発と発表されたが、燃料プール付近に一瞬赤い炎と、黒いきのこ雲が空高く立ち昇った。

30分後、原子力災害対策本部の中枢メンバー、総理総務室に参集。

経済産業大臣・海江田万里。官房長官・枝野幸男。官房副長官・福山哲郎。原子力安全保安院付・安井正也。原子力安全委員長・斑目春樹。


SPEEDI

この時点で、文科省、安全委には原子力安全技術センターから1時間ごとにSPEEDIのデータが入り、拡散方向を予測。保安院も独自計算させた予測図を送らせ、外務省から在日米軍に届けられていた。

ところが、SPEEDIを使っていながら、官僚たちはその情報を官邸に伝えなかった。安井、斑目は菅にその利用を進言することもしなかった。

首相の菅直人や官房長官の枝野幸男は、それを認識していなかった。

しかし、SPEEDIデータが外務省北米局日米安全保障条約課の外務事務官、木戸大介を通じて米軍の要請でいち早く米国側には渡っていたのである。

3月14日の時点でもSPEEDIを知る政治家はほとんどいなかった。

テレビ報道が先行し、その確認に追われる。情報は届かない。

3号機爆発は、2号機の弁を開ける電気回路を壊していた。格納容器の圧力を下げる弁が閉じたままで、圧力が上昇し、チェルノブイリ並みの事故の恐れが出てきた。

東電から原子炉の状態を示すファックスが次々に届けられてきた。



午後6時22分。2号機の燃料棒全体露出。

午後7時、2号機が空焚きになったことを経産省などに通報。

清水正孝社長、携帯で何度も海江田大臣に連絡を入れる。清水は海江田に電話をし続けたがつながらなかった。

やっとつながったのは午後8時頃「圧力が高く、原子炉に水が入らない」と報告。



清水「第一原発の作業員を第二原発に退避させたい。何とかなりませんか」

海江田「残っていただきたい」

東電は同じ内容の電話を、枝野、細野にもしている。



午後10時50分、格納容器の圧力が設計上の限界を超える。

午後11時ころ、米大使ジョン・ルースと枝野が電話会談。ルースは「米国の原子力専門家を官邸に常駐させてほしい」と申し入れた。

国家主権に触れかねない要請。危機管理能力を疑われている。政府は断った。

3月15日(火)

15日をまたぎ、最後の弁操作も失敗。

午前0時。首相補佐官・細野が官房長官・枝野に吉田所長の電話を取り次ぐ。

吉田「大丈夫、まだやれます」

午前3時前、総理応接室

元警視総監で内閣危機管理監・伊藤哲朗は東電幹部から「放棄」「撤退」を明言される。

伊藤「第一原発から退避するというが、そんなことをしたら1号機から4号機はどうなるのか」

東電「放棄せざるを得ません」

伊藤「5号機と6号機は」

東電「同じです。いずれコントロールできなくなりますから」

伊藤「第2原発はどうか」

東電「そちらもいずれ撤退ということになります」



午前3時。海江田、枝野、福山、細野、寺田の前で、菅「撤退はあり得ない」と断言。

午前3時20分、後に御前会議と呼ばれる集まりに、官房副長官・藤井裕久。同・滝野欣弥。防災担当相・松本龍が加わる。
       
原子力安全・保安院長の寺坂信昭。保安員付・安井正也。原子力安全委員長・斑目春樹。委員長代理・久木田豊も出席。

全員撤退すべきでない。撤退を食い止めるには東電に乗り込むしかない、と話が発展した。

午前4時17分、菅首相の「撤退はない」に、清水社長「はい、わかりました」

菅「東電に統合本部を作る」に「分かりました」と清水。


       
後に、政府の事故調査委員会の中間報告では撤退問題を、官邸側の勘違いで片付けている。

午前5時35分  菅首相一行、東電本社着。菅訓示。

午前6時   2号機の圧力制御室付近で大きな衝撃音。

その3時間後に正門付近で毎時1万1930マイクロシーベルトというこれまでと桁外れの高い線量を確認。

海側への風は、次第に陸側へと変わり、その後、北西に向きを定めた。その先には浪江町、飯舘村、福島市があった。

2号機の圧力抑制室の圧力は衝撃音と共にゼロになった。原子炉に穴が開き、高濃度の放射能が外に出たことを意味していた。



東電本店2階にいた菅は、一部を残して作業員の一時撤退を命じた。650名が福島第二原発に避難した。

清水社長は菅首相に、住民の避難区域を30kmに広げたい旨を言う。

このときSPEEDI予測を用いていたら、余分な被爆はさせずにすんだはずだ。

後日、斑目は「原発のプラントが今後どうなるかを予測できる人間は、私しかいなかった。その私にSPEEDIのことも全部やれというんですか。

超スーパーマンならできるかもしれませんけど。役割分担として菅首相にアドバイスするのは保安院です」

寺坂「保安院がSPEEDIの話をしちゃあいけないことはないが、SPEEDIは、文部科学省の所管です」

日比野靖は「総理に助言すべき組織が機能せず、当事者意識が欠如していた。組織の都合が優先され、必要な知識を持った人間が役職にいなかった」と官邸の印象を語っている。

結局、保安院には専門的説明ができる人材がいなかったことになる。まさしく当事者能力に欠ける人選がなされていた。

政府に原子力行政においてマネジメントのノウハウも、危機管理能力もなく、首相、経産大臣、官房長官が、ベントや海水注水の判断、命令をするなど、この国のいい加減さ、稚拙さを浮き彫りにしていた。

安全神話を疑うこともせず、官僚組織は省益とポスト争いの具と化し、シュミレーションさえまともに実行されない、責任者が不在の、頭のないゾンビ化した集団が国の中枢の正体だったのである。

3月15日の時点で、毎時330マイクロシーベルトのところが点在し、子供達を含む住民が残っていても、政府はそれを隠蔽し、枝野は「直ちに人体に影響がない」を繰り返した。

4号機も15日朝、火災と爆発を起こしていた。16日も火災を発生し続けていた。

SPEEDIの情報は文科省が出し、それを使って避難指示を出すのは官邸。しかし、菅も海江田も枝野もSPEEDIは知らなかったと国会答弁。

後になって政府は放出放射能が不明だったのでSPEEDIは役に立たないと強調する有様だった。

保安院は同心円状などありえないと知っていながら何故黙ってしまったのか。

3月16日、福島市内で毎時20マイクロシーベルトを観測。

1日そこにいると、480マイクロシーベルト、一ヶ月で1万4400マイクロシーベルト。胸部レントゲンに換算すると、288回。1日あたり9.6回に相当する。

これでも、テレビでは大丈夫、心配ないをくりかえした。

国民を官と報でマインドコントロール下においたのである。


ようやくSPEEDIデータが公表されたのが、5月3日になってからだった


「国民がパニックになることを懸念した」と首相補佐官だった細野豪志は答えた。

パニックになっていたのは、菅政権のほうだ。

外国政府、海外メディアから、情報隠蔽、甘い見込み、虚偽情報の提供と非難された。

福島原発事故1ヵ月後、54年途絶えることなく続いてきた放射能測定をやめる指示を気象庁が出した。

観測史上最も高い値を出しているこの時期にである。

文科省からの通達だった。

つくば市の気象研究所では放射能が異常に高い数値を記録していた時期の中止命令だった。これは、財務省から文科省への要請だったのである。

経済産業省所属の保安院もその影響を受けていたのに違いない。

国ぐるみで線量の公開を消極的にしているのである。



今日においても、自宅周りを除染しても、20mほど離れた裏手の山林は高い放射線値のまま。また、通学路や排水溝など高い線量の地点が散在する。

そして、今日まで内部被爆を積極的に認めない国の姿勢も基本的に変わっていない。

東電と官僚の関係について週刊文春、臨時増刊2011・7.27日号)

東京電力の関係者の談話。「テレビで原子力安全・保安院が会見しているが、連中は素人ばかり。安全審査といっても統括安全審査官以外は知識がない」

「原子力と関係ない部署の役人が移動で安全審査官になる。最初は東電側がレクチャーし、接待する。昔は接待漬けだった」

「安全審査では、審査の資料を作成するのは東電。それに通産省という名前を入れて東電が印刷」

「次の原子力安全委員会の二次審査では、通産省が委員会に説明する。その資料も東電が作成した。

最終的に委員会の『安全審査書』が出るが、それも東電が作った。まったくのお手盛りだった」

経済産業省は、原子力安全・保安院を通じて規制をかける一方で、同じ省内の資源エネルギー庁で振興策を出すという矛盾した関係にあった。

過去にトラブル記録の改ざんをアメリカの技術者が内部告発したが、保安院はその調査に2年もかけた上、東電に実名を漏らしたということが後に明らかになった。

官僚たちは、東電のいうままになっていた実態があばかれている。

原子力産業を進める上で「原子力は安全」という神話を作り上げることだった。

1994年作成の「原子力の研究、開発及び利用に関する長期計画」で、

「原子力にも潜在的に危険性はありますが、現在まで培った知識や技術と安全優先の思想により、これを十分制御することができます。

現に、わが国の原子力施設については、その安全は十分確保されており、これまで周辺公衆に影響を及ぼすような放射性物質の放出を伴う事故は皆無です。

その運転実績については、国際的にも高い評価を受けています…」と書かれている。

その策定以前に世界で原発事故は多発している。

1950年代 カナダのチョークリバーのNRX炉、イギリスのウインズケール1号炉事故

1961年、アメリカのアイダホ国立原子炉試験場のSLI炉事故など、事故が多発。

1979年、アメリカのスリーマイル島原子力発電所の事故。

1986年 チェルノブイリ事故


このように1994年作成の「原子力の研究、開発及び利用に関する長期計画」の前にこれだけの原発事故が起きている。
そして、この長期計画なるものが発表された翌年の1995年に「もんじゅ」の事故が起きた。

1995年、福井県敦賀市の動燃(動力炉・核燃料開発事業団)の高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故。

さらに、
1997年、動燃の東海村のJCO東海再処理工場で火災爆発事故。

安全神話などすでに崩れているのに、広く国民に宣伝し続けたのが”政・官・財の鉄の三角形”の上に乗った「学者」たちと、マスコミである。

マスコミの果たした役割

神話を振りまいて原発を推進してきたのはマスコミであった。

1954年正月 読売新聞は「ついに太陽をとらえた」という題で原子力の平和利用をたたえる大型連載をはじめた。

同年3月、読売新聞社は原子力展を開催。同時期に第5福竜丸事件が起きる。読売新聞だけがこのニュースをスクープしている。

社主の正力松太郎は、その後衆議院議員になり、初代原子力委員会の委員長になった。読売新聞は最初から原発推進の旗を振ってきた。

その背景には、中曽根康弘と正力は、アメリカの「平和利用」の動きと連動した協力関係があった。

1970年代に各地で原発立地反対運動が起こる。

電力業界はマスコミ対策を強化。

東電社長の木川田が朝日新聞のトップに働きかけ、それによって朝日は「転向」する。

1974年 朝日新聞は10段の原子力広告を載せ、それを契機に地方紙も原子力広告を載せるようになった。

毎日新聞はそれを見て、電力会社側に広告を出すよう要請。

当時、毎日は紙面で反原発キャンペーンを行っていたが、電気事業連合会の広報部長がこれを恫喝してキャンペーンを止めさせて広告掲載となった。

電力会社は独占企業にもかかわらず、巨額の広告宣伝費を投じてマスコミ対策を行っていった。


2011年5月19日号「週間アサヒ芸能」

震災後のマスコミ封じのため8千万円払ったという記事が載った。

また、広告費だけでなく、記者を飲ませ食わせで抱きこむ接待攻勢で骨抜きにされ、東電の御用記者になってしまっている。

さらに、記者が事実を書いても上からストップがかかるという。

理由が、普段から億単位の広告料金や、今回の数千万円というおわび広告料金を考慮しろ、ということだった。

これは、テレビも同じ。局の幹部が勝手に自主規制してしまうのが現状だ。

東京電力だけで、広告費が年間243億5700万円。販売促進費として238億9200万円。その他に普及啓発費として約200億円。

その多くがマスコミ・メディア対策である。

国民から、大本営発表と同じというマスコミ批判が起こった。

テレビのキー局、大手新聞社、大手出版社などへの広告出稿が一番多いのも電事連と東京電力。

大手メディアや大手広告会社の役員に、電事連や電力会社の出身者、25にのぼる原子力関係の委員会出身者が多い。

「2011・5.21号「週間ダイヤモンド」

「もともと原子力政策は、中曽根康弘元首相が1954年に原子力関連予算を初めて通して始まった。

資源の乏しさと経済性を後ろ盾に推進。その後、石炭の公害問題、73年の石油危機から、原子力が新エネルギーとして注目され、国ぐるみで原発に傾倒していった。

ここに目をつけた田中角栄は74年に「電源三法」を成立させ、自治体にカネをばらまく仕組みをつくった。

政治家たちはわれ先に地元へ利益を誘導し、票につなげた。「人心をカネで買う」行為があからさまに行われていった。

国も予算を次々に増やし、天下り団体をつくる。

研究者には多額の研究費を与え、国の意図を代弁する有識者を増やし、電力会社は国の天下りを受け入れ、大学などに寄付を行って政策誘導を図った。

御用学者の巣窟が東京大学である。

国と東大が二人三脚で推進してきたのが、日本の原子力行政の歴史だ。それだけに原発批判を断じて許さないとする風土が築かれていった。


財界と東電

財界の総本山といわれている経済団体連合会は1946年設立。2002年日本経営者団体連盟(日経連)と合同して今日に至る。

初代会長は日産化学社長の石川一郎。7代目が東電会長の平岩外四。2010年より住友化学会長の米倉弘昌(12代目)と続くが、歴代の議長や副会長は、東電役員が独占した。

勝俣恒久 東電社長、清水正孝 東電社長も副会長であった。

経済同友会でも、代表幹事に木川田一隆 東電社長、会長。から勝俣恒久・東電社長らが副代表幹事に名を連ねている。

東京商工会議所では、那須翔、荒木浩、南直哉、勝俣恒久が、資源・エネルギー部会長を務めている。


政治献金(週間東洋経済2011・4,23日号より)

地域独占と原価主義料金が資金力の源泉。電力料金は事業コストに利潤を上乗せした「総括原価」で決まる。

発電所を次々作り、これを原価にいれてゆく。発電所建設で地元首長との交渉や中央政界との調整では水面下の政治対応。

東電は建前上献金を封印しているが、政治家への資金提供はゼネコンが代行。地元有力者の視察旅行、交通費、宿泊費、接待費も肩代わり。

それらの経費を建設費見積もりで上乗せして東電に請求するという構図が恒常化していた。

また、ゼネコンの系列企業、下請け企業にも政治献金をさせている。

東電はそれを総括原価に組み込む。

こうして、欧米に比べ数倍もの高い電気料金を国民が負担するのである。


組 合

現在、東京電力労組をはじめ、各電力会社や関連会社の労働組合によって、電力総連が組織され、加盟組合は約230、組合員数約21万5千人。政党は民主党を支持している。(以前は、社民党 支持)

会社側と一体になった労働組合は、原発を推進してきたのである。
そして、電力会社と電力労組の支配下にあるのが、民主党であり、自民党なのだ。

人類は、電気を作るための単なる湯沸しの手段に、原子力という人間では制御不能で未来永劫消えることのない放射能と言う魔物にとりつかれる重大な過ちを犯した。
このたびの事故によって、国体も危うくすることがあらわになった。

だが、政治家や官僚が電力会社を助け、電力会社の利益と省益、権益を守り続けているのが現状だ。

政治家の耳触りのよいパフォーマンスは選挙対策。とうに底が知れてしまっている。

国がトップセールスをするなり振り構わぬ原発輸出や、使用済み核燃料問題の棚上げ、深刻な汚染水問題をかかえながら、事故の検証も出来ず、住民避難計画も策定できないのに再稼動するという、この一連の動きは、国民の安全より、省益や企業の利益のほうが優先され、原発事故は国民が負担するという、このとんでもない犯罪的構造が日本国の病巣の深刻さを物語っている。

以上見てきたように、原発安全神話なるもののでたらめが浮き彫りになった今、原子力安全・保安院の組織が環境省にそっくり鞍替えして原子力規制委員会と名前を変えても、国民の疑心暗鬼は払拭など決してされないだろう。

政府のトップが福島の汚染水は完全にアンダーコントロールされていると堂々と国際社会に嘘をつき、世界標準のコアキャッチャーの存在も無視し、免振重要棟設置さえ先延ばしして、ましてや住民の避難計画までなおざりにして、国際基準からは程遠い低次元のシロモノを、世界一厳しい安全基準と偽り再稼動させるという国である。

これを、国会で問題にもされていないのである。

我々は、ついにブレーキのないバスに乗せられてしまったかのようだ。



さらに、ここへきて福島第一原発の作業員の確保が難しくなっていると聞く。各地の再稼動の動きに合わせて、福島より賃金を高くして作業員を確保し始めたためだ。

この先、東京オリンピックの工事が始まれば、福島での人員確保はますますおぼつかなくなってくる。

行政の優先順位が全く逆である。

国民の暮らしや思いより、利権、利益優先。これは、巨大防潮堤の論理も同じだ。

福島に全力投球できないなら、さらに世界から信用を失い、安直な再稼働で、もし小さな事故でも起こしたら、オリンピックなど、まずできなくなるだろう。

このような政官財癒着の社会偏向構造が見直されない限り、政治の不条理と、民主主義の矛盾と脆弱さを世界に発信し続けていくことになり、国際信用のさらなる低下は免れえないことになるだろう。






参考文献

プロメテウスの罠 朝日新聞特別報道部
原発をつくった私が原発に反対する理由 菊地洋一
東電解体 巨大株式会社の終焉 奥村 宏
原発と陰謀 池田整治
原発の倫理学 古賀茂明




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