小山田彼岸桜樹林
山と自然 一歩一歩登った山々に美の原点がある!
小山田 彼岸桜樹林 国指定天然記念物 蟹沢山 標高649,1m
2014年4月24日(木) spectator:5645
- 鳴沢峰、菅名岳の間の中腹に見えるのが小山田彼岸桜樹林 ⇩
菅名岳登山に来るたびに小山田の桜樹林が気になっていた。
今回、桜の開花期に立ち寄ったのでカメラ一つ持って登ってきた。
登り口の駐車場に由来が書いてあるが、もう少し詳しい情報を調べてみる。
元々、菅名岳の山腹一帯には「江戸彼岸桜」が多く自生していて老木も多く,文人も各地から訪れるほどの桜の名所として花時は見事な景観を見せていた。
言い伝えでは、山火事(野火)で大半が焼失したため、嘉永年間(1848~53)に当地(旧川東村)の斉藤源左衛門なる人物がこれを惜しんで1000本もの桜を植樹したという。
自生の桜は、ここの山腹や渓谷一帯に散生する他にも山麓の山中いたるところに多数見ることができる。(上段の画像)
江戸時代末期に、頼山陽の三男で尊攘派の志士であった頼三樹三郎がこの地を訪れて「花の吉野に勝るとも劣らず」と言ったとか。
ソメイヨシノは、エドヒガンザクラとオオシマザクラの雑種だが、ここの彼岸桜はエドヒガンザクラとマメザクラの雑種と言われている。
花の色は小ぶりで可憐な白や淡紅色。エドヒガンとは花柱に毛がないことで区別される。
吉野の山桜は花の開花と葉が同時に出てくるが、小山田の桜は彼岸桜の特徴でソメイヨシノと同じく花が先に咲きその後に葉がつく。
その点で花の美しさは吉野に勝っているのかも知れない。
現在この一帯を五泉市が管理し、周遊路が整備されている。
期待して登ってみることにする。
地元では花見山と呼んでいるこの蟹沢山の麓の駐車場から沢を渡って、まず杉林の中を10分ほど急登する。
息が切れそうになったころに、山道添いに源左衛門さんが植えた樹齢150年を超える樹高20mほどの百株近い桜並木が現れる。
そこからは谷を隔てた山腹一帯に自生とみられる江戸彼岸桜が広葉樹林のなかに点在し満開の美しさを見せている。
山道に咲く逆光に輝く桜とのコントラストがまた美しい。
足元の斜面には植栽したであろうシラネアオイが群生していて和ませてくれる。
呼吸を整えてからひと登りすると、東屋のある平坦なところに出る。
その広場を囲むようにまるで桜で春霞のようになった空間が現れた。
野趣あふれる豪快な幹に繊細な花。ソメイヨシノとはまったく趣の違う美しさだ。
「敷島の大和心を人問はば、朝日に匂ふ山桜花」と詠んだ山桜への想いや、豪華な花合わせを思いついた平安貴族の感性は、こういう風情の中から生まれたのだろうか。
東屋の後ろを巻くようにしてゆるい登り斜面を先へ進む。
桜の並木が続き、その根元に沿って山道がつけられている。
地面は散り始めた桜のはなびらが覆い、薄い絨毯を敷き詰めたよう。
谷方向や斜面上部に見事な桜の老木が枝を縦横無尽に伸ばし、辺りを覆うように林立している。
斜面から見るので、上からも下からも桜が迫る。広葉樹の若葉と桜の花のカーテンで身体を包み込まれるようだ。
徐々に高度を上げ、空が近くなってきて、ひょっこり尾根に出る。
ここが周遊路の最高点らしい。
手前より阿賀野川が青竜のようにうねり、はるか春霞のなかに新潟市内まで遠望できる。
振り返れば菅名岳稜線の雪模様と山腹の桜が絵画のようだ。
帰りも名残の桜を堪能しながらもと来た道を下ってきた。
五泉市小山田の蟹沢山の桜樹林は、昭和3年11年30日に、桜では40くらいある国指定の天然記念物のうち最も早い時期に指定された。
樹齢200年、樹高18m、幹の最大周囲3mと記録されている。
しかし、1000本植えたといわれている桜も現在は250本くらいになっているという。
対策と管理もたいへんなことだろう。
ここ菅名岳、大蔵山の中腹には、ブナの原生林やカツラの巨木があり、手付かずの自然と小山田の彼岸桜樹林というすばらしい自然環境が大切に残されている。
撮影:20140424
ーメモー
人工的に作り出された数百種の園芸種を「里桜」と呼び、昔からの野生の桜の自生種は約十種類あるが、それらをひとくくりにして「山桜」と呼ぶ。
自生種の主要なものが、西日本の 山桜、東日本の 彼岸桜、北日本の 蝦夷山桜(大山桜)
自生種の総称である「山桜」と「西日本の山桜」は意味が違う。
江戸彼岸桜は、大島桜と 彼岸桜の雑種で古木は樹齢二千年にもなるものがあり、天然記念物の多くがこの種類。
蝦夷山桜は濃いピンク色。彼岸桜は花は小振りで色は染井吉野と同じ薄いピンク。山桜は白に近い淡いピンク。
古来この山桜の淡い色を桜色としていた。
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