メイちゃん
生きものたち かけがえのない「いのち」のかたち!
愛犬「メイ」 のこと
2010年1月30日(土) spectator:2500
- 朝の散歩で!
私達の最愛の家族だった愛犬
「メイ」のことを書こう。
メイはシェットランド・シープドック。
通称「シェルティ」、
我が家に5月に来ることになったので私が「メイ」と名付けた。
口というのか鼻がといえばよいのかこれが長い。大きな耳をぴんと立てるといかにも精悍な顔つきになる。
毛色はブラックとホワイトそしてタンの3色でれっきとした血統証明書が付いていて、正式の犬名は「アマーロ オブ ポチ ファミリー ジェイピー」となっている。
わが家では愛情をこめて「メメ」とか「メコ」あるいは短く「メッ」と呼んだ。
亀田のAPITAのペットショップにいて、売れ残っていたのだという。かなりためらっていたが、安くなったので母さんとお姉ちゃんが買うことを決めてきた。
私は最初は乗り気ではなかった。世話がちゃんとできるのか。大きくならないのか。家には入れてはダメなど、
注文はたくさんだしておいた。
ペットショップに引き取る数日前に見に行った。愛想が少しもないのが気になった。
だが、いざメイを引き取る日、若い女性の店員さんの目が真っ赤になっていた。メイは長くいたのでAPITAの店内ではアイドルになっていたのだという。
みんなからとても可愛がられていたようだ。
家に来て最初の日はまだ広いところは怖いのか、道路に座って動けなかった。母さんが抱っこして散歩した。
3日目に、小学校のグランドへ連れて行ったら喜んで走り回ったという。
その翌日からちゃんと散歩が出来るようになった。
この子のいいところは、長い口もむやみに開けないし、舌をダラリと出したり、よだれを垂らすこともない。
お尻は長い毛で覆われていて、ピンと立つ耳と長い鼻と可愛いいアーモンドのような目があいまってかなり上品である。
毛なみはフワフワと柔らかで実に気持ちがいい。お腹はピンク色で薄くて破れそうで怖いくらいだ。尻尾もきりっと上げた時の姿がいい。
欠点といえば、最初のころはよく吠えた。玄関に人が来ると、気が違ったかと思えるくらい吠えた。玄関につれて行き顔を見せるとおとなしくなるのだが、これが何故なのかわからなかった。
庭に出ても足が汚れないように人工芝を敷き、家と庭の行き来は自由にできるようにした。そしてバルコニー付きのりっぱな犬小屋を作ったのだが、とうとう最後までそこには入ろうとしなかった。
暑くなると小屋と家の細い隙間に体半分突っ込んでいたものだ。
あとで考えると、気の毒な事をしたと思う。家の中で住むようになると夏は玄関によくいた。床のタイルが冷たくて気持ち良かったみたいだ。
というのも、ある事件があって、メイの部屋を作ることになり、しかたなく家の中で飼うことになったのである。(詳しくは語ることはできないのだが…)
散歩は毎日、早朝と夕方の二回。排尿と排便は散歩の途中でする。家でのトイレのしつけに失敗してしまっていた。
最初は美砂子が朝の散歩、夕方はお姉ちゃんの日課だった。
ある日、私が突然腰痛になった。リハビリを兼ねて一緒に朝の散歩をしてみようということになった。
家を一緒に出るとき、メイは嬉しそうだった。飛び跳ねる仕草を何度もする。
家の近くはまだ田んぼが広がる田園地帯で、農業用排水路は暗渠になって、その上は遊歩道として整備してある。
また、本所排水路も一部公園のような遊歩道になっていて環境はいいはずだった。
ところがである。
一面の田んぼが見える小学校のところまできて、愕然とした。
6月の緑豊かな季節だというのに、田んぼのあぜ道や農道、本所排水路の両岸、畑の中までが黄ばんだ茶色で汚く変色している。
稲と畑の作物以外はすべてと言っていいほど除草剤で立ち枯らせているのだ。
それも何とも薄気味悪い色で、たちどころに気分が悪くなり、散歩する気力も失せてしまった。ひとり散歩は中止。家に帰ることにした。
メイは「どうして?」というような顔をして後ろ姿を見送っていた。
遊歩道や農道では多くの人や犬が散歩している。またお孫さんと散歩している人もいる。動物や幼児への影響は本当にないのか。
他県ではこんな景観を無視した風景は見たことがない。「米どころとしてのプライドもなにも、環境問題が叫ばれる時代にあってなぜこんなブザマなことがまかりとおっているのだろうか!」
私は新潟の恥といってはばからなかった。
メイもそうだが動物は消化を助けるため道端の草も食べる。
主に台所洗剤と同じ成分の除草剤が多いのだという。国が認可した農薬で規定通りに使用している分には人体には影響がないとの説明だ。
冗談じゃあない。その結果がこれでいいはずがない。
これを何とかする。メイちゃんの命はお父さんが守ってやる。
このときから、真剣にメイとの約束としての戦いが始まった。
これについてのすざましい戦いの顛末は別の項で紹介するが、新潟日報社、農協、ラジオ局、新潟市、新潟県、農林省そして町内会の有力者にまで話は展開するのである。
さて、それでも気を取り直して、環境が良くなることを願いつつ、メイとの散歩が始まった。
それにしても多くの人が犬の散歩に出ているものだ。さすがにペットブームというだけのことはある。
すぐに、犬仲間がたくさんできた。
たいていは散歩の途中でひとしきり、集団ができた。
メイは仲良しとは抱き合って挨拶もする。
犬のご主人の名前はわからないが、○○ちゃんのお父さんで通ってしまう。
メイにはネコの友達もできた。頬と頬をすりつけたり、じゃれあったりするほど仲が良い。猫の名は「小太郎」といった。
家に帰っても「コタローいるかな?」とわざと言うと大いそぎで庭の方までかけて行き、探すくらい仲が良かったのだ。
また散歩の途中には苦手な猫もいる。相手が威嚇すると前足を踏ん張って見ないようにして及び腰になる。
そのくせ遠くにネコを見つけると駆け出そうとするのでリードがピンと張る。足だけが舗装路を掻いている。怖いくせに焦った姿がなんともおかしい。
メイには苦手な犬も3、4匹はいたようだ。絶対に近づかないし、見ようともしないで私に隠れるようにして大急ぎでその場から立ち去ろうとする。
子供達にはよく愛想をふりまいた。耳をたたんで甘えるように身をくねらせて近づいていく。「かわいい」といって頭をなでてもらうと安心していた。子供たちが大好きだった。
その神妙な顔つきや物腰も今となっては痛いほどに懐かしい。
ともかく、朝の散歩と夕方の散歩は欠かせない。お陰で早起きになり、朝食がとても美味く食べられるようになるし、規則正しい生活は、だんだん健康を取り戻してゆく。
メイは退屈すると、「遊ぼう」といって手を掛けて催促してくる。鬼ごっこや、足につかまりケンケンをしたり、得意だった靴下とりごっこ。掃除機にかじりついて掃除の手伝いならぬ邪魔をする。
また、とても器用で、ひっくり返せなさそうな食器を上手に口と手を使ってくるっと返し、くわえて食事を催促にくる。
ヨーグルトやヤクルトの容器は両手でしっかり押さえて上手に飲んでいた。
一、二年とたつうちに、あのお瘠せさんだった体も一人前のシェルティらしくなってきた。
誕生日にはケーキにローソクをたてて毎年お祝いをした。
そのうちに散歩も、安全な場所ではリードは外して歩いた。数mも離れることがなかったからである。
私と美砂子がわざと立ち止まり、かなり離れたところで呼ぶと、あわてた様子でカラカラと駆けてきた。
そのうちにそれが気持ちよさそうな顔をして走るようになっていった。
早朝の雲や霧、渡り鳥、ご来光など景色が美しいときにはカメラを持ってゆく。
撮影で時間をとっていると、メイは最後の曲がり角の決まった場所で私が来るまで動かないでオスワリを続け、顔を見てから安心したように立ち上がり、そこからは三人一緒に家に戻るのであった。
帰ると、手順が決まっていて、上手に自分から身体を預けてくる。お腹を上にしてだっこする。そして足とお尻を拭いてもらってから家に上がる。
それから、新聞をお父さんの所まで運ぶのがメイの朝の日課だ。
いつ頃からだったろうか、言葉がかなりわかるみたいで、こちらの気持ちが理解できるようになっていた。
例えば、教室に連れて行き「静かにしてるんだよ」というと、まるでそこにいないかのようにずっと静かにしていた。その様子を見た生徒さんがびっくりしていた。
ある日、メイが駆けてきて私の顔をじっと見て何か訴えている。
「メイ、水がないのか?」とっさに出た言葉だった。
メイについて行くと、はたして食器の中がカラカラになっている。
言っていることががわかったような気がして無性に嬉しかった。
そういえば、これは特技といえるかわからないが、飛んでいる昆虫を捕まえるのが得意だった。
玄関先で「何食べたの?」という美砂子の声、行ってみると長い口の両側から、セミの羽がハの字になって飛び出している。
思わず二人で大笑いしていた。
また、庭でキャンという声がして、首を振り振り家に入ってきた。
どうやら蜂をつかまえて口のなかか鼻を刺されたようだ。
さかんに鼻すじをさすっていたがすぐにケロリとしている。
なかでも、蚊が好物らしく、ふざけて「アッ蚊だ!」といって手をたたくと、ガウガウと唸って手に飛びついてくる。
「私のおやつ取らないで!」とでも言ってるみたいだった。
おもしろがって何度もやったものだ。
メイは突然家の中を走りだす。玄関のマットも吹っ飛ぶほどの勢いで庭から玄関から疾走する。母さんはおもしろがってゲラゲラ笑っていた。
お風呂は母さんの係りだ。メイはシャンプーが嫌いだった。ケージに入って出てこない。一度ケージに入れなくして「メイ、シャンプーするよー」と声をかけたら二階に逃げて行き、龍太のベッドの中に潜っていたという。
でも、いったん浴室に入るといい子になっていた。風呂上がりのマッサージが好きだったみたいだ。3日くらいはフワフワの毛並みでいい香りが残る。母さんは顔をフワフワの毛の中に顔をうずめて「いい香り」というとメイも嬉しそうな顔をしていた。
あと、嫌いなものに雷がある。訳があって大きな声で吠えさせないことがわが家の暗黙の鉄則になっていた。
メイは恐怖で吠えたいのを我慢して、ウー、ウー、ウーと低く唸って懸命にこらえている。
それがまた愛おしくて、しっかりと抱きしめてやったものだ。
また、母さんに叱られてピンタをされることがあるとカラカラと飛んできて私の膝の上に乗って助けを求めてくる。
そんな時は、どんな悪さをしても母さんのピンタから本気で守ってやるのだった。
メイが来てから夫婦喧嘩が出来なくなった。どちらかが少しでも声を荒げると、メイがすぐに飛んできてお互いにとびついて「やめて、やめて」と必死に止めに入ってくる。
そのうちに二人とも自然に諦めの境地に入っていくのであった。
私が初めて重病になった。
帯状疱疹が耳の中にできて、2~3週間、頭をハンマーで殴られるような衝撃で、一晩中のけぞりかえるほどの猛烈な痛みに耐えていた。
その年の2月の中旬のことだった。
普段は近くで寝たことのない子が、その間ずっと寄り添ってくれた。
このときほどメイを心から愛おしく想ったことはない。
その年の3月には、めずらしい神様からプレゼントをいただいた。
昔、凍み渡りといって、朝早い内、ダイヤモンドが無数にきらめくような新雪の上を歩けることがよくあった。
朝の散歩を始めて4年目にしてこの日初めてこの現象が起きた。
朝の空気がピンク色に染まり、メイと雪の上で戯れる。広い雪原となった田んぼの上を心ゆくまで楽しんだ。
メイの朝の太陽をジッと見ている姿を思い出す。
そして、その年の冬だった。
わが家のかけがいのないメイが突然この世から去っていった。
12月16日にメイは死んだ。5歳と3日の命だった。
原因は医者でもわからなかった。
いなくなったことを信じるまでにかなり時間がかかった。
いつまでも家のいたるところで幻影を見て声をかけてしまうのだ。
母さんがメイちゃんとそっくりな人形を毛糸で作った。その胸にはメイちゃんの形見のフワフワな胸毛が着けられていた。
また、母さんは立派な思い出のアルバムを作り、私はDVDに画像と映像を整理した。いずれも最近までつらくて見る気になれなかった。
冬になると火葬場に行ったあの日のことを思い出す。
今までに見たこともないような、それは真っ青で雲ひとつない美しい冬の蒼い空と、銀色にひかり輝く山々とのコントラストが痛いほどにまぶしかったあの光景は、今でも鮮烈な印象として心に残る。
それから不思議なことがひとつある。
今でも、ひとりメイのことを思って写真などを見たときに、せきを切ったように慟哭してしまうことがある。その時決まって鼻腔の奥からメイのほのかなあのいい香りがしてくるのである。
あんないい子は、他にはいない。
きっと、メイちゃんは神様からのお使いだったに違いない。
ありがとう。メイ!
父さんはきっとまた逢えると信じているよ。
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