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しし座流星群

  天体観察                果てしないロマンが宇宙にある!

 しし座流星群                 

   2001年11月19日(月)      赤城山の流星群 (FandSokiraku)         spectator:3960

  • 赤城山小沼天頂に流れた流星 2001.11.19

2001年11月赤城山小沼にて 

年も期待した流星雨にはならなかった。ただ、観測後の赤城山から帰りはじめた午前4時過ぎに、一瞬辺りが明るくなるほどの「大火球」が走るのを見ることができた。
2000年はヨーロッパからアフリカにかけて1時間に5千個という大流星雨を記録していたという。

1833年ナイヤガラの滝に降り注ぐ流星雨 

この流星群のもとになったテンペル・タットル彗星は1865年に発見され、約33年の周期で太陽の周りを廻っている。その軌道上に残したダストの中を地球が通るときに、大気との摩擦で流星が発生する。今回は98年2月に太陽を通過したばかりでその期待も大きい。

左の絵は1833年、ナイヤガラの滝上空でみられたしし座流星雨を描いたものだ。

さて、この年も流星雨出現の日の天候は新潟では条件が悪く、再び群馬県赤城山に向かった。まだ午後4時過ぎだったと思うが山麓の南の中腹で休んでいると、肩をすくめなければならないような「ブブブブー」というすごい音が上空を通過した。

ロケットの噴煙みたいな痕跡を残した昼間の流星である。流星が発生する高度は100km位という。これはかなり低い高度まで到達している。夜なら大火球だったにちがいない。

 期待がいやがうえにも高まってきた。

大沼のさらに上の小沼の近くの駐車場に入った。皆良いポジションは知っているものだ。すぐに満車に近い状態になった。私の時計の高度計では標高1450mを指している。絶好の快晴となっていた。

赤城山上空に降る十数個の流星 

 いよいよ、流星が流れ始めた。

 あちこちで歓声があがった。

そこここに絶え間なく流れる。

しかし流星雨という期待ほどの流れ方にはならない。

フイルムは4本撮ったが、その内写っていたのは数枚にすぎない。

左の28mmレンズで撮った写真は確かに十数本は写っているが小さくて迫力に欠ける。

一貫して50mmレンズで天頂に向けて撮り続けた。そのなかでジャストミートしたのが下の写真である。

Nikon50mm 天頂ふたご座に流星走る 

3年越で撮った流星の写真、私にとってかけがいのない1枚となった。

 
私が彗星や流星に惹かれるのは、いけばなの伝書に由来する。

五行の考え方に、相生、相克というのがあり、木、火、土、金、水と書いて「もっかどごんすい」と読む。木が燃えて、火が起り、その灰が積もって土になる。土が固まって鉱物(金)になり、その鉱物から水を生じる。これを相生という。相克はその反対の現象をいう。

この最後の鉱物から水というのが理解できず、こじつけだろうと決めつけていた。

ところが、NHKがテレビでアメリカの湖で今でも水を出している岩石があるというドキュメントを放送した。

地球にできた水の多くは長年にわたり彗星が地球に衝突して出来たのだという。すると、彗星は地球にとって命の源であったといえるではないか!

陰陽五行説に、天にあっては木、火、土、金、水。地にあっても木、火、土、金、水とある。なぜ、5千年も前にこういう考え方が生まれたのだろうか。

星にロマンを感じ、想いを馳せるのは今も昔も変わらない。そこに我々自身の悠久のルーツを見ているからかもしれない。

それゆえ、その美しさと神秘的な輝きに特別な感慨を覚えるのだろう。

彗星が残したダストに地球が飛び込んで発生する流星も、ときには今回のような神秘に満ちた光景をみせる。


撮影が困難と思われた流星を写真に収めることができた喜びは大きい。

往きには山中で鹿の親子に会ったりして結構楽しい思い出の撮影行となった。

  • しし座流星群-動画 2001.11.19 FandSokiraku

http://youtu.be/zCldfctC-RA


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