お月見10
いけばな歳時記 季節の節目に出会う花!
中秋の名月
2010年9月23日(木) spectator:4709
- 雲ひとつない満月の夜
昨日が中秋の名月。しかし新潟は雨。
今日、ふと見上げた曇り空に月が出ていた。十六夜(いざよい)にあたる今日23日がほんとうの満月である。
茶人、村田珠光は「月は雲間のなきはいやにて候」として雲の移ろいと月との景色に美的感覚を見出している。
まさに、千変万化に変化する雲の中を登りゆく満月が一瞬の間姿をあらわしてくれた。
昔、母がお月見をするといって、廊下にススキなどを活け、お団子をお供えして「お月見は十五夜と十三夜の二回するものだよ。」と教えてくれた。
その時見た月は母の愛情に包まれているせいかとても美しい思い出として心に残っている。
今から8年前、今まで見たこともない冴え冴えとした美しい月に感動したのは、ロシア、ウラジオストクの総領事公邸に招待された折、そのテラスから見たときのことだった。思わず驚嘆の声を上げていた。
ちょうどそれが9月の中秋の名月、その日であった。
大陸の湿度の低さと気温の関係であろうか。一昨年9月にもロシアに行った折、あたり一帯が停電して暗いホテルの階段から見た満月もやはり目を見張るほどの見事な美しさを見せていた。
夜の月明かりは満月の夜ともなるとびっくりするほどに明るい。
いたるところに照明がある市街地ではなく、高い山に登っているときにその有難さがよくわかる。懐中電灯がいらないくらいだ。これは空気が薄く、気温が低いことが関係するのだろう。
古来より満ち欠けをする月が人々の生活のサイクルを作り出し、重要視されてきた。
それは、29日の月齢に20以上もの呼び名が付けられていることでもうなずける。
笑い話に、昼の太陽と夜の月ではどちらか一つを選べと言われたらどっちを取る?との問いに、昼は明るいのだから、暗い夜を照らす月のほうだ。といった話を思い出す。
人工の照明灯などない昔の人にとって、月はありがたい存在だったに違いない。
その月が時間用語となったのは、太陽の365日周期では生活上の単位としては長すぎるので約30日で満ち欠けする月の方が古代人にとっても身近なサイクルだったからだ。
月の満ち欠けから作られた太陰暦では、月が現れる日の新月は「つきたち」と呼ばれ、そこから一日のことを「ついたち」(朔日)と呼ぶようになった。
また、満月は「もちづき」(望月)と呼ばれ、二十九日半をかけて満ち欠けする一周期を「一朔望月」という名がつけられた。
つまり太陰暦では常に新月の日がその月の一日。満月の日は十五日となり、十五夜と日付が毎月一致することになるのでとてもわかりやすかったのである。
( 朔:月が完全に消えた状態から現れる瞬間のこと。朔の瞬間が含まれる日が「朔日」と書いて「ついたち」と読む。)
文明が起こると、月を重視する太陰暦と、太陽を重視する太陽暦がつくられた。どちらも一年は12か月という認識も共通していた。
- 月の名称
月齢 | 名 称 | 月齢 | 名 称 | |
---|---|---|---|---|
一 | 朔(さく) | 十六 | 十六夜(いざよい)、既望 | |
二 | 二日月、繊月(せんげつ) | 十七 | 立待月 | |
三 | 三日月、初月(ういづき),月の剣 | 十八 | 居待月 | |
七 | 上弦の月、弓張月 | 十九 | 寝待月、臥待月 | |
十 | 十日夜の月(とうかんやのつき) | 二十 | 更待月(ふけまちつき) | |
十三 | 十三夜月 | 二十三 | 下弦の月、下つ弓張 | |
十四 | 小望月 | 二十六 | 有明月、暁月 | |
十五 | 望月、十五夜、満月 | 三十 | 三十日月(みそかつき)、晦(つきこもり) |
太陰暦は、常用年では通常、大の月(三十日)と小の月(二十九日)を交互に並べた十二太陰月からなってるが、これだと一年が11日づつずれてゆき、何と17年程度で夏と冬が逆になってしまうのである。
それに較べ太陽暦は季節がずれる心配はないが、月という単位のもとになった朔望月とは関係なくなり、月齢が使えないのも古代人にとって不便だった。そこで、季節がずれないように太陰暦の月の周期を保ちつつ太陽暦で補正する「太陰太陽暦」が考案され、どちらも誤差の調整の必要から閏月(うるうづき)という調整月が導入された。
(閏月はじゅんげつとも読む。閏は準と同義語。正規の月に準じた月の意。それがある年は13カ月になる)
日本に旧暦(太陽太陰暦)が伝わったのは中国からで七世紀頃とされ、その後十回ほど改暦を経て、現在では旧歴といえば、江戸時代にできた「天保歴」をさすが、明治五年(1872年)十二月三日を明治六年一月一日として旧暦から西暦(グレゴリオ暦=太陽暦)に変わった。
西洋思想を性急に取り入れるため、それ以前の価値観を全否定する文明開化が叫ばれた時代で、西洋諸国と肩を並べるためには一年が13カ月あっては不都合だったのである。
旧暦で用いられてきた睦月、如月など各月につけられた名前も当然ながら太陽暦の季節とは合致しなくなった。
月 | 和風月名 | 月 | 和風月名 | |
---|---|---|---|---|
一月 | 睦月(むつき) | 七月 | 文月(ふみつき) | |
二月 | 如月(きさらぎ) | 八月 | 葉月(はつき) | |
三月 | 弥生(やよい) | 九月 | 長月(ながつき) | |
四月 | 卯月(うづき) | 十月 | 神無月(かんなづき) | |
五月 | 皐月(さつき) | 十一月 | 霜月(しもつき) | |
六月 | 水無月(みなづき) | 十二月 | 師走(しわす) |
しかし、月の満ちかけの周期と地球の公転軌道を組み合わせた旧暦は極めて科学的で、海の干潮や満潮、ウミガメの産卵やカニの身がおいしい、おいしくないとか、多くの生物の行動や、女性の体までが月の満ちかけの周期に近い。
また文学などにおいても俳句では春の花に対して、月は秋の季語であり、和歌にも多く詠われてきたように月の存在は日本人の感性に合っていた。
日本人の繊細な情緒や感性は月を愛でることで磨かれてきたのである。
中国やロシアでは正月を旧暦にするなど、西暦と旧暦を併記している。
わが国も先人が残した二十四節気や七十二候などの季節感を大切にする感覚を呼び起こすことで、開発で豊かな自然がこれ以上破壊されないよう日本人の情緒を重んじる心を取り戻す時代にしたいものである。
毎年、中秋の名月の夜、京都大覚寺では大沢の池に龍頭鷁首の舟を浮かべ、優雅な月見の宴が王朝文化さながらに催されている。
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